町内の小学生が棕櫚箒工房見学
町内の小学生が棕櫚箒工房見学

地元・紀美野町の小学生たちが工房へ社会科見学に来てくれました。町内の小中学生は普段の学校掃除で、私が4年前に作ってお届けした棕櫚皮の片手箒を今も使ってくださっているそうで、皆さん棕櫚箒の事は知っていたものの、実際に棕櫚箒を作っているところを見たり、たくさんの種類の棕櫚箒を見るのははじめてとの事。

せっかくの機会なので、原材料のバラバラの棕櫚繊維の状態から1本の荒神箒(棕櫚鬼毛5玉荒神箒・共柄)が出来上がるまで製造過程も見ていただきました。

町内の小学生が棕櫚箒工房見学
町内の小学生が棕櫚箒工房見学

これらの棕櫚箒は私たちのご先祖様が、電気のない時代に身近な自然素材だけを使って、知恵と工夫で完成させた便利で美しい生活道具のひとつ。昔のひとたちが衣食住すべてを天然素材で手作りして生活していた頃の、暮らしの一端を感じていただけていたらいいなと思いました。これから先、もし何かが必要になった時に、それをすぐに買ったり手に入れられなかったとしても、「昔のひとはどうしていたかなー」と想像し、柔らかい頭で知恵と工夫をこらして身近な物を活かせば、必要な何かを作りだせたり、乗り越えられる事があるかもしれません。若い皆さんが見学に来てくださった事は私にとっても貴重な良い経験になりました。ありがとうございました。

補足:いま私が製作しているような様式の棕櫚箒は(一説には、お茶文化と共に室町時代から江戸時代に)京都で発祥し、上流階級から庶民へと需要が広まるのに伴って、西日本を中心に各地に製法が伝わったといわれています。特に1950年代以降は、他の伝統的な仕事と同じく、需要の減少と共に全国的に職人が減少し、棕櫚箒発祥地といわれる京都でも1980年代から90年頃に最後の棕櫚箒職人が廃業されて以降は製造技術が絶えて、京都に伝わっていた棕櫚箒はそれ以降は作られなくなってしまったそうです。

いまでは、江戸時代から現在まで一度も途絶えずに、大きく変化する事なく伝統製法の棕櫚箒が作られ続けてきた産地は紀美野町だけになり、生前の師匠の棕櫚箒と師匠から継承したこれらの棕櫚箒は「少なくとも江戸時代後期と同じ製法・同じ原材料・同じ様式・同じ地域で作り続けられてきた棕櫚箒」として、紀美野町と和歌山県の伝統工芸品に指定されています(全国的にみると、他にそれぞれの方法で棕櫚箒を作っている工房は複数あります)。

また厳密には、かつて棕櫚箒作りが盛んだった頃の西日本では、いま和歌山県伝統工芸品になっているこれらの棕櫚箒の様式や製法と、京都など他の産地の棕櫚箒の様式や製法はかなり異なっていました(他の産地:京都・奈良など近畿、名古屋・広島・四国各地・九州各地など)。当時は、産地ごとに特色や個性のある多様な棕櫚箒があり、型や様式を見ればどこの産地で作られた物かだいたい分かったそうです。調べたところ、当時の写真などが残っている箒もありますが、話だけで伝え聞いている棕櫚箒もありますので、いつか当時の各地の棕櫚箒の模造品を作り、それら産地ごとの違いや特徴もご紹介できればいいなと考えています。

明治時代以降、和歌山県の海南市や紀美野町周辺は棕櫚製品の産地として全国に知られていたそうです。私の師匠が棕櫚箒職人になった1920年代頃はまだ、紀美野町(旧野上町・旧美里町)を含む隣接町村の山間地が「野上谷」とよばれる日本一の棕櫚皮生産地だった事と、明治時代から隣の海南市の問屋など業者が棕櫚紐・ロープ製造のために中国など外国産の良質な棕櫚原料(内地産の棕櫚に対し、中国産の棕櫚は「支那毛」ともよばれていた)を輸入してきた経緯もあり、他所よりも棕櫚箒の原材料を確保しやすかった事が幸いし、戦後しばらくまでは棕櫚箒工房が何軒もあり、ロープやマットやタワシなど他の棕櫚製品も盛んに作られる棕櫚製品の一大産地で棕櫚組合もあったそうです。しかし時代の流れと共に大きな変化もあり、師匠の代で原材料の棕櫚の産地は、地元産(内地の棕櫚)から輸入棕櫚へと変わってしまい現在に至ります。

今も棕櫚皮生産地だった当時の名残であちこちに棕櫚の老木や自然に生えた棕櫚木はありますが、栽培適地で若木の段階から原料木として管理栽培されていないため、樹上で棕櫚皮に湿気が溜まり劣化し原料皮としての耐久力や美しさが落ちており、残念ですが、長年使う事を前提にした棕櫚座敷箒の原料には使う事ができないため、現在では棕櫚箒の原料はすべて輸入棕櫚原料に頼っている状況です。

第二次世界大戦中には、軍需品として地元産の棕櫚皮が無理に大量採取されたため木が弱ってしまい皮質や生産量が落ち、戦後は軍需品ではなくなったため棕櫚皮の価格が暴落、1950年以降には国によるスギ・ヒノキ植林事業の推進や、果樹栽培への転換推進を経て、1960年前後頃には地域での棕櫚皮生産自体がほぼ終了し、ほとんどの棕櫚原料林は伐採・他の樹種に植え替えられ山の景観は大きく変わったそうです。