引き続き【棕櫚箒】鬼毛(タイシ)9玉長柄箒作りと黒竹の下準備。玉(束)を完成品の鬼毛箒の形に組み合わせる「箒を合わせる」工程。画像1枚目は、黒竹柄に棕櫚繊維を巻き、銅線と蝋引き麻糸で縛って固定しているところです。柄竹にあらかじめ開けた穴にコウガイ(竹串)を通し、順番に玉を叩き込み銅線で固定していくと、見慣れた棕櫚鬼毛箒になっていきます。
以下、10月23日から少しずつ掲載している地元に伝わる「しゅろの歌」の続きをご紹介します。棕櫚の花の使い道などが書かれています。
(「しゅろの歌」その5。数回に分けてご紹介します)
「しゅろの歌」 田中芳男(続きの一部分)
根ばかりにても 用いなば 花ものつくる 添え木にも
文字書くときの 仮枠に いろいろ用い あるぞかし
花は毎年 萌え出でて 粟粒ごとき 実柄をなす
雌木と雄木とが あるなれば 雄花の若き ものを取り
それを湯にして 味を付け 酒のさかなに なるぞかし(柳野源之助著「和歌山県の棕梠栽培」大正11刊)
参考文献:展示解説集第17集 海南地方における「家庭用品産業の歩み」-棕梠加工業から合成繊維加工業へ-(平成10年10月1日 海南市立歴史民俗資料館)、
その他、地元の方々にいただいた「しゅろの歌」の手書きやコピーの資料
参考までに以下は私なりの訳文です。
(「根ばかり」の指す部位がはっきり分からないのですが、文脈から推測すると「葉をとった茎」かと思います)
茎(?)だけを使うなら 花ものを作る際に 添え木になるし
文字を書く時の 仮枠にもなる 色々使い道があります
棕櫚の花は毎年 萌え出でて 粟粒のような実になります
雌木と雄木があり 雄花を 若いうちに採り
茹でて 味を付ければ 酒の肴になります—-(その6に続く)
棕櫚の花が食用になる、という内容に驚く方が多いかもしれません。今では地元の人でも食べません。この詩が書かれたのは大正時代ですが、聞き込みした限り、少なくとも昭和初期生まれの地元の方々でも積極的に食料として食べることはなかったようです。
しかし「食べられるよ」「食べられないこともない」というお声も多数あり、その方々は戦時中、食べ物がなかったので子どものおやつ代わりに「あわっこ(萌えたばかりの棕櫚の粟粒のような白い花実)」をとって生で食べていたそうです。ほんのり甘い味がするそうですが、「今でもまた食べたいと思うほど美味しくはない」とのこと。私はまだ食べたことがないので来年こそは挑戦してみたいです。
また、乾燥させた棕櫚の実は漢方薬のひとつだそうです。こちらには「棕櫚はその昔、弘法大師が中国から日本へ持ち帰った」という伝説があり、もしそうだとすると持ち帰ったのは、薬として、棕櫚の実を乾燥させたものだったのかもしれません。(棕櫚の実は棕櫚木の種でもあります。)