今日は珍しく棕櫚箒の話ではなく、京都で50年余り作られてきたという手作りの庭箒(外掃き用・土間箒)、「シダ」を原料に作る「シダ箒」の話です。一般的にシダ箒というと、ホームセンターなどで売られている大量生産の箒が有名ですが、そのようなシダ箒とは作りも見た目も違う、手作りの庭ぼうきです。京都などではお馴染みの庭ほうきなのかもしれません。
先月、事前にお約束して京都三条の内藤商店さんを訪問しました。是非拝見したい箒があったからです。
話はずいぶん前に遡りますが、私が弟子入り間もない頃、師匠・桑添勇雄さんの工房に「暮しの手帖(2007年6月1日発行/28/6-7月号)」の取材がありました。京都三条の老舗・内藤商店さんと、和歌山・野上谷地域で棕櫚箒や棕櫚タワシを作っている棕櫚製品の職人への取材でした。刷り上がった 「暮しの手帖」を読み、師匠と奥様が「変わった箒だなあ」と、初めて見たと言う箒が写った内藤商店さんの写真が2枚ありました。その「変わった箒」2本のうちの1本が画像1枚目に写るシダ製の庭ほうき(土間箒)です。
内藤商店さんで取り扱いしている外掃き用の箒だという事以外に詳しい事は分からなかったのですが、後日、同じ箒がCO-OP(コープ/生協)のカタログに掲載されていたので詳細が分かりました。この箒を作っているのは京都の山本一満商店・ 山本一満 (はじむ)さんで、素材はシダ、庭ほうき(土間箒)、との事。連絡先を調べて電話してみると、箒は工房でも売っているという事で、後日、京都の工房を訪ねて直接購入した事がありました(何年前の事だったか忘れてしまいました)。
先月訪問した内藤商店さんの店頭に山本一満さんのシダ箒はありませんでした。残念ながら山本一満さんがお亡くなりになってしばらく経つのだ、とうかがいました。
先日たまたま近所の方から箒用のシダとパームの繊維を譲り受け、材料のシダが手元にありますので(近所で昔、シダやパームの箒や刷毛を家内工業で作っていた時の在庫だそうで、町内にはそんな家がいくつもあったそうです)、山本一満さんを偲んで1本シダ製の庭箒を作ってみました(勢いで2本作ってしまいましたが)。
有り合わせの麻糸や真鍮線で山本一満さんのシダ箒を真似て作ってみましたが、当然ながらまったく同じには出来ず小振りになってしまいました。私よりも手の大きい人だったのかな、もっとゆっくり話をしてみたかったな、などと思いながら作りました。作っていた箒の種類は違っても、50年余り手作りを続けておられた箒職人さんが亡くなり廃業されるのはさみしいです。
山本一満さんのシダ箒を真似て作ってみたかった理由はもう一つありました。このシダ箒の作り方が、古い京都の棕櫚箒(もしかすると江戸時代頃からの?)の製法の流れを汲んでいるのではないかと思ったからです。先月、内藤商店さんで見せていただいた明治時代の名工・内藤利兵衛さんの棕櫚箒。以前、本で読んだ事のある内藤さんの記事や、先日直接うかがった利兵衛さんの棕櫚箒の作り方と、山本一満さんのシダ箒は、時代も見た目も素材も全然違う箒ですが、作り方には共通する部分がありました。
以前、山本一満さんがシダ箒作りをしている動画を、海南市の問屋さんがスマートフォンで見せてくれた事がありました。山本一満さんの工房を見学・撮影した映像との事でした。製造工程を間近で撮影した詳細な映像だったので、よく山本さんが撮影を許してくださったんだなあと驚いて見ました。その映像の山本一満さんが箒の玉(束)をコウガイ(太い竹串)に刺す順番が、いま和歌山の私達が伝統的な棕櫚箒作りで当たり前のように刺している順番とは違って、一番端の玉から順番に竹串に刺す方法、まるでお団子を竹串に刺していくように次々と玉を刺し、最後にすべての玉をギュッとひとまとめにして柄竹に縛る作り方でした。似た形の箒は江戸時代の浮世絵にもあります。そして内藤利兵衛さんの棕櫚箒も、一番端の玉から順々に刺して作っていたという話でした。外国の箒にも同様の製法のものがあります。国や地域や種類が異なる箒でも、繋がりやどこか似たところ・共通点があったりと、色々な手作りの 箒を見ると改めて気づかされる事があり興味が尽きません。