江戸時代の箒師「人倫訓蒙図彙」
江戸時代の箒師「人倫訓蒙図彙」

左:「江戸職人図聚」三谷一馬 著(中央公論新社) / 右:「日本職人史の研究-日本職人史序説」遠藤元男 著(雄山閣出版株式会社)

江戸時代の棕櫚箒をご紹介します。ブログ名にも使っている「箒師」を描いた絵です。昔は「棕櫚箒職人」のことを「箒師」と言っていたんだ、とこれらの本で知りました。
三谷一馬さんの「江戸職人図聚」に、この絵は

「出典・職人本『人倫訓蒙図彙』元禄3年 蒔絵師源三郎画」

とあり、1690-1691年頃の箒師のようです。
また、遠藤元男さんの「日本職人史序説」によれば

「第42図は、京都の箒師の仕事場で居職である。(中略)シュロ箒はシュロ縄や麻糸で編んだり縛ったりしたものである。」

とあり、当時の棕櫚箒は棕櫚縄や麻糸で縛ったものだったようです。師匠からも、昔の棕櫚箒は糸で縛ったものばかりで、鉄の針金や銅線で縛るようになったのはごく最近の事だ、と聞いています。
絵の箒師が作っている棕櫚箒は、今作っているものとは少し構造が違っています。現在の棕櫚箒は小さな玉(束)を組み合わせた厚みのある形状で、元禄3年の絵の棕櫚箒は、薄く扇形に広げた棕櫚を糸か縄で編んで留める簡単な作りをしています。

出典:三谷一馬(2001)/「江戸職人図聚」/中央公論新社/p.312-313
遠藤元男(昭和60年)/「日本職人史の研究Ⅰ-日本職人史序説」/雄山閣出版株式会社/p.312-313