江戸時代の棕櫚箒をご紹介します。先日ご紹介した楊洲周延画「千代田之大奥(千代田の大奥)」の「御煤掃」(明治28年=1895年)と同じく、年末の大掃除「煤払い」を題材にした絵です。

武家煤払の図/部分-19世紀-喜多川歌磨-東京国立博物館研究情報アーカイブズ
武家煤払の図/部分-19世紀-喜多川歌磨-東京国立博物館研究情報アーカイブズ

江戸時代(19世紀)の喜多川歌麿画「武家煤払の図」5枚1組のうちの3枚目と5枚目に棕櫚箒が描かれています。
今日は、箒がより詳細に描かれている3枚目の絵をご紹介します。江戸時代のほうきが描かれている喜多川歌麿さんの絵は、以前にも「酩酊の七変人」(1801-1803年)をご紹介しましたので、そちらの棕櫚箒とも比較してみたいと思います。
画像1枚目が「武家煤払の図」3枚目、手ぬぐいをかぶった女性3人が描かれています。畳を上げ、襖をはずして大掃除の真っ最中に、これからお茶を飲んで一休み、という場面でしょう。中央の女性が持っている棕櫚箒を拡大してみます。

武家煤払の図/部分-19世紀-喜多川歌磨-東京国立博物館研究情報アーカイブズ
武家煤払の図/部分-19世紀-喜多川歌磨-東京国立博物館研究情報アーカイブズ

上の画像が「武家煤払の図」の棕櫚箒の拡大で、下の画像は「酩酊の七変人」の棕櫚箒を拡大したものです。

酩酊七変人(1801-1803)-喜多川歌麿-東京国立博物館 画像検索サイトより
酩酊七変人(1801-1803)-喜多川歌麿-東京国立博物館 画像検索サイトより

どちらもよく似た形の棕櫚長柄箒です。上の「武家煤払の図」は5段綴じの棕櫚箒、下の「酩酊の七変人」は4段綴じの棕櫚箒という違いの他は、綴じた箇所から穂先までの棕櫚繊維の長さが微妙に異なる程度でほぼ同じ形の棕櫚箒です。(おそらく、5段綴じの棕櫚箒の方が高級なのではないかと思います。)
箒の穂は少し太さのある棕櫚紐で綴じてあるようで、竹柄には棕櫚の上から糸をぐるぐる巻いて留めてあるようにも見えますが、もし糸でなければ、綴じるのに使っているのと同じ棕櫚紐を隙間なく巻き上げて留めているのだと思います。棕櫚という素材の長さから考えると、後述の、棕櫚紐を巻き上げて留めている可能性の方が高いかな、と考えています。

酩酊七変人(1801-1803)-喜多川歌麿-東京国立博物館 画像検索サイトより
酩酊七変人(1801-1803)-喜多川歌麿-東京国立博物館 画像検索サイトより

「武家煤払の図」を見るまでは「酩酊の七変人」の棕櫚箒は棕櫚皮箒なのだろうと思っていました。しかし、細やかな描写を拡大して並べて拝見すると、あらかじめ棕櫚皮をほぐして繊維状にしてから箒の形に綴じて作られているように見え、棕櫚皮箒ではなくて棕櫚繊維箒の可能性が高いと考えるようになりました。
どちらの絵の箒も、女性の髪の毛の描写に次ぐくらいとても細かく描かれていて、もしかすると歌麿さんは棕櫚箒を描くのが好きだったのかもしれません。

歌麿さんの描いた江戸時代の棕櫚箒が棕櫚繊維箒だとしても、現在の鬼毛(タイシ)箒と本鬼毛箒のどちらに近い箒なのかまでは分かりません。また、現在の棕櫚長柄箒と同じようにコウガイ(竹串)が入った構造をしているのかどうかも、はっきり分かりません。絵のほうきの形から、コウガイ(竹串)は多分使っているのではないかと想像しているのですが、実際に使われていたかどうかは、同じ箒を1本試しに作ってみれば分かるだろうと思います。もう少し製作が落ち着いて実物を試作する時間がとれましたら、改めて結果報告させていただきたいと思います。

1枚目の作品名:「武家煤払の図」(部分:5枚1組のうちの3枚目)
喜多川歌磨 画
江戸時代(19世紀)

2枚目の作品名:「酩酊の七変人」または「酩酊七変人」(部分)
作者:喜多川歌麿
描かれた年代:享和年間(1801~1803年)
版元:山城屋籐右衛門

いずれの画像も出典は、東京国立博物館 研究情報アーカイブズ