江戸時代の棕櫚箒-笊売り/川柳絵本-新撰画本柳樽/渓斎英和泉 画/天保14年=1843年
江戸時代の棕櫚箒-笊売り/川柳絵本-新撰画本柳樽/渓斎英和泉 画/天保14年=1843年

江戸時代の棕櫚箒をご紹介します。「笊売り(ざるうり)」の絵の中に棕櫚箒が描かれています。この絵は渓斎英和泉画の川柳絵本「新撰画本柳樽」(天保14年/1843年)を元に、三谷一馬さんが再現・彩色し出版した「彩色江戸物売図絵」の1枚です。
棕櫚箒は荷物の向こう側に1本だけしか見えていませんが、きっとその棕櫚箒の下、荷物の陰には棕櫚の片手箒などこまごました棕櫚製品も担いでいるのではないでしょうか。笊売りさんは笊だけでなく、棕櫚箒やホウキモロコシの箒やハタキ等を一緒に売っていたことが分かります。三谷一馬さんの著書は江戸時代の暮らしを絵で想像できてどれも楽しく勉強になります。

江戸時代の棕櫚箒-笊売り/川柳絵本-新撰画本柳樽/渓斎英和泉 画/天保14年=1843年
江戸時代の棕櫚箒-笊売り/川柳絵本-新撰画本柳樽/渓斎英和泉 画/天保14年=1843年

拡大してみると、棕櫚箒とホウキモロコシの箒の作りがほぼ同じに描かれています。糸で綴じる作り方です。笊売りが担いでいるのは庶民が使う道具だろうと思いますので、絵が当時を正確に描いているとするならば、庶民が使う江戸時代の棕櫚箒は、棕櫚皮を薄く平たい形に重ねて糸で綴じた簡単な作りの棕櫚皮箒だったと考えられます。ひょっとすると、棕櫚箒とホウキモロコシの箒は同じ所で同じ職人が作っていたという可能性も考えられます。

平成の笊売りの行商
平成の笊売りの行商

一方こちらの画像は平成の笊売り。毎年春から初夏に大阪から和歌山県高野山麓のこちらへ行商にやってくる竹細工屋さんです。天秤から軽トラックに変わっていますが、江戸時代の笊売りとほとんど変わらない品揃えとスタイルに驚きます。ここへ越してきて初めてお会いした時は、このような行商が今も脈々と続いていることに本当に驚きました。積まれているのは主に農家が使う実用の竹製品や荒物雑貨で、近県の手仕事の竹製品だけでなく、現代の工場製品の箒や中国製品も多数混在していて、写真には写っていませんが幌屋根のすぐ下には中国製の棕櫚箒も入っています。きっと数十年前までは、これらはすべて近県産の手仕事の品々だけだったことでしょう。近県で竹製品を作っているのはいずれも高齢男性なのだそうです。

笊売り
出典:彩色江戸物売図絵/三谷一馬 著/
中央公論新社 発行/1996年/p.190-191
川柳絵本「新撰画本柳樽」/渓斎英和泉 画(天保14年/1843年)