江戸時代の棕櫚箒をご紹介します。「棕梠箒売り」の絵、藤原春季画の職人本「江戸職人歌合」(文化2年=1805年)。
棕櫚という字はいくつかあり、ここでは原文のまま「棕梠」としています。ちなみに「棕櫚・棕梠」という漢字の読み方も「しゅろ」「しゅうろ」「すろ」などいくつかあるようで、それらの表記を見たことがあります。

出典:江戸商売図絵/三谷一馬 著/
中央公論新社 発行/1995年/p.292-293/ISBN4-12-202226-6

江戸時代の棕櫚箒-棕梠箒売り/藤原春季画/「江戸職人歌合」文化2年
江戸時代の棕櫚箒-棕梠箒売り/藤原春季画/「江戸職人歌合」文化2年

棕梠箒売りは、客が古い箒と銭とを出すと、新しい箒と交換しました。古箒は解いて、棕梠縄やたわしなどに作り変えて売ります。江戸では絵のようにわくに入れ、天秤で担いで売りに来ました。

威勢の良い声が聞こえてきそうな棕櫚箒売りの姿です。
残念ながら、箒そのものの描写は曖昧なところがありますが、他の江戸時代の棕櫚箒の絵と比較して、おそらくこれは棕櫚皮長柄箒を描いているのだと思います。持ち手も竹節がないただの棒として描かれており、これも竹を簡略化して描いたのか、つるっとした木の丸棒なのか分かりません。
当時は、今作っている棕櫚箒とは構造が少し異なりますし、留め方も銅線などの金属線ではなく、糸綴じでした。

江戸時代には、使い古した棕櫚箒とお金で新しい棕櫚箒が買えたというのは、現在では失われた感覚と売買方法だと関心します。使い古しの棕櫚箒を分解して縄やたわしを作って売ったという話からも、「棕櫚」という素材の耐久性の高さがうかがえます。
絵の中の立てかけた棕櫚箒の奥に横たわっている棒は、わくを肩に担ぐための天秤棒です。

昭和~平成まで、棕櫚箒を担いで売り歩くスタイルの行商は続いています。軽トラックなどに棕櫚製品を満載しての移動販売もよく見られたそうで、中国山地にいる親類も「昔は年に何回か軽トラで、こんな山奥の集落まで棕櫚箒を売りに来ていた人がいたよ」という話を聞かせてくれたことがあります。数年前までは、棕櫚箒を担いで徒歩で家々を売り歩く高齢女性の行商人がいるという話は聞いていたのですが、今も続けておられるかどうかは分かりません。
ところで、この絵の箒売りの売り方、私ももし露天で棕櫚箒を売る機会があればいつか真似して再現してみたいと思っています。